こんにちは。
もちくすです。
それは突然のことだった。
冷蔵庫にあった納豆の賞味期限を確認し終えた時、ふと「どこか遠くへ行こう」と思った。
特に理由はなかった。そういうものには、たいてい理由なんてない。
たとえば恋に落ちる時や、スーパーで不必要な豆苗を買ってしまう時と同じように。
それで僕は自転車に空気を入れて、荷物を詰めて、地図を見て―いや、実際はあまり見ずに―とりあえず50kmくらいの距離にあるキャンプ場を目指すことにした。
片道50km、往復100km。これが僕と自転車と、ツェルト2ロングとの旅の始まりだった。
- はじまりは夏の気配
- カフェは、まるで最初から存在していなかったみたいに、静かに休んでいた
- 汁を飲み干すという小さな勝利
- ツェルトという名の孤独な小宇宙
- 渓流と魚と釣れない午後
- 焚き火と鶏肉と、こぼれた柿ピーの憂鬱
- 眠りと鳥のさえずり、そして朝の柿ピー
- 寄り道とご褒美の温泉
- 旅は終わる。けれど、まだ終わっていない。
はじまりは夏の気配
季節は6月。カレンダー的にはまだ梅雨入り前だけど、暑さだけはしっかり夏。
出発したのは、まだ朝の涼しさがかろうじて残っている時間帯だった。
しかし、午前10時を回る頃には太陽が本気を出してきた。気温はぐんぐん上がり、気がつけば僕の脳は軽く茹でられていた。
遅めの出発だったせいで、スタートからなかなか暑い。
登り坂で背中から汗が噴き出す。
街中から郊外へ風景は変わり、峠越えの道にかわる。誰かがレコードを途中で裏返したみたいに、唐突に。
河川敷を走るコースとは違い、なかなか走りごたえのあるルート。
体力は削れていくけれど、代わりに何かを得ているような気もする。たぶん気のせいだけど。
先を急ぐ旅でもないので、ゆるゆると自転車を漕ぐ。
「100km」ってなかなかの距離に感じるけど、片道50㎞。
今回は泊りなので、そこまで大した距離ではない。
補給と休憩をすれば全く問題ない。
ただし、暑さだけは敵だ。
油断すると一気に体力を持っていかれる。
峠の途中で休憩をすると一気に汗が吹きだす。
やれやれ 僕はゴクリと水を飲んだ。
カフェは、まるで最初から存在していなかったみたいに、静かに休んでいた
旅と言えば、現地での食事。
途中、キャンプ場の近くにあるカフェで昼食をとるつもりだった。
事前に調べて、すでに「ナポリタンか、キーマカレーか」というくらいまで心は決まっていた。
だが、そこは閉まっていた。金曜日だったのが敗因だった。
人生のタイミングは、たいてい金曜日あたりで狂う。
やれやれ 僕はため息をついて自分の運のなさを呪った。
気を取り直して、そのままキャンプ場へ向かう。
キャンプ場のマスターは不在のようだ。
あらかじめ行くことを伝えていたので、目ぼしい場所を見つけて今日の宿とする。
木陰が涼しくて、風が気持ちよくて、少しだけ救われる。
そのままシート広げてしばらく横になった。たぶん、軽く熱中症だったと思う。
汁を飲み干すという小さな勝利
昼食は、何の因果かカップ麺になった。
正確には、翌朝食べる予定だったやつを前倒しで召喚した、というべきかもしれない。
いうなれば彼は未来からやってきたラーメン。時間旅行者みたいな存在ということだ。
湯を注いで待つ間、僕は遠くの雲の形を見ていた。3分という時間は、雲を眺めるにはちょうどいい。
人は3分でずいぶん遠くまで考え事ができるし、だいたいの悩みは3分後にもまだそこにある。
できあがったラーメンは、驚くほど素直な味だった。
飾り気もないし、媚びてもこない。いつも通りの味だ。でもそれが良かった。
僕は汁まで一滴残らず飲み干した。
まるでその中に、何か大切な真理が沈んでいるかもしれないと思ったからだ。
それから水を飲んだ。ボトルに入れてきた、ぬるくなった水だったけれど、体はよくわかっていた。「今、これは必要なんだ」と。
きっと塩分も水分も、必要な分だけちゃんと体に収まった。
なぜだか、ほんの少し報われたような気がした。
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ツェルトという名の孤独な小宇宙
食後はゆっくり片づけて、ようやく落ち着いてきたので今回初導入のツェルトを建てる。
僕の寝床は、ファイントラックの「ツェルト2ロング」だった。
これはごく軽量で、設営も簡単で、広さも申し分ない。
たぶんこの宇宙の中で、常設ツェルトとしては最強の部類に入るだろう。
詳しく知りたい人は、別の記事を読んでほしい。
このツェルトを設営する時、僕はほんの少しだけ「自分が宇宙飛行士になった気分」を味わう。
ペグを打ち、ガイラインを張り、ジッパーを閉めた瞬間、そこはもう僕だけの無重力空間になる。
自転車旅と相性も抜群でUL装備の中でも、このツェルトは最高だ。
軽さと広さのバランスと設営の自由度。
渓流と魚と釣れない午後
設営が終わった僕は、渓流へ向かった。
釣りはまだ初心者で、装備も技術もお世辞にも充実しているとは言えない。
ただ、川のせせらぎと木陰の匂い、そして「釣れるかもしれない」という不確かな希望が、僕を釣り場へ急がせた。
結果は、1匹。小さな魚だった。
ハヤだと思う。
見た目も気の弱そうな感じだったので、放してやることにした。
「やれやれ おおきくなれよ」
釣った魚を放すたび、何かを得たような、何かを失ったような気分になる。
それが何なのかは、まだ僕にはわからない。
焚き火と鶏肉と、こぼれた柿ピーの憂鬱
釣りのあとは焚き火だ。
今回は「秘密のグリルちゃん」を持参していた。
彼女には、ある重要な役割があった──焚き火の下に鶏肉を置き、遠赤外線だけでじっくり焼く。それが僕の「プロジェクト・ザ鶏肉」だった。
しかしプロジェクトの前には必要な儀式があった。
それは、僕の乾いた喉にビールという黄金の泉を流し込むということ。
ビールをひとくち飲んだ瞬間、僕は宇宙のほぼすべてがこの一杯のなかに収束していることを理解した。
黄金色の液体が喉をすべり落ちていくたびに、世の中のくだらないルールとか、曖昧な人間関係とか、未来の漠然とした不安なんかが、ひとつずつ泡になっては消えていった。
たぶん、幸せっていうのは、そういう一瞬のことなんだと思う。ビールと焚き火と、静かな夕暮れ。それだけで十分だった。
しかし幸せの時間というものは、たいてい不安定だ。
柿ピーをこぼしたのだ。しかも、半分以上。
あの瞬間、僕の中の「何か」が音を立てて崩れた。だが、それもまたキャンプである。
気を取り直して「プロジェクト・ザ鶏肉」をすすめることにする。
「秘密のグリルちゃん」の下段にアルミホイルを丁寧に敷いた。そこはちょっとした銀色の舞台だった。
その中央に、鶏モモ肉を置く。僕はそれを「肉」としてではなく、宇宙からの訪問者のように扱った。
味付けは「マキシマム」のみ。名前からして最大値感があるし、事実、その名に恥じない仕事をする。
火を足しながら、じっくり30分。ぼんやり焚き火の炎を見つめながら、人は何を思えばいいのだろう。
色々考えを巡らせる風だったが、僕はただ肉の火の入り具合を心配していただけだった。
そうして完成したそれは、皮はパリッと、内側は驚くほどジューシーだった。
まるで外側は理性で、内側は欲望、そんな人間のような焼き上がりだった。完璧だった。完璧すぎる。
ワンカップとともにそれを食べた時、僕は一瞬「ここが世界の中心ではないか」と錯覚した。
僕はその一切れを口に運び、すこしだけ目を閉じた。
眠りと鳥のさえずり、そして朝の柿ピー
夜は、まあ、やたらと静かだった。
まるで誰かがこの世界の「音量つまみ」をそっとゼロにしたみたいな感じだ。
ラジオだけが、取り残されたペンギンのように、心細そうに鳴っていた。FMだったかAMだったか、そんなことは重要じゃない。
早朝、鳥の声で目が覚めた。
5時前、まだ空も薄暗い。けどその音があまりにもきれいで、少しの間耳をすませてた。こんな日はスマホはいらない、文明が少し煩わしく感じる。
おっと、今日の天気を調べなければ。僕は隣に置いてあった四角い塊を手に取った。
朝ごはんは、わずかに残った柿ピーとカロリーメイトで朝食を済ませた。
僕には何も残されていない。
そう、何も残ってないんだ。
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寄り道とご褒美の温泉
帰りは温泉によって帰るつもりだが、まだ少し時間が早い。
時間を調整するため、魚たちと戯れることにする。
しかし魚は僕とあまり遊びたくないようだった。
帰り道、ちょっとだけ寄り道して、小さなハイキングコースへ。
途中にあった登山道に吸い寄せられるように足を踏み入れたのだ。
でも「このままじゃ帰れなくなる」と気づき、引き返した。帰り道というのは、案外あっさりしている。
そして最後のお楽しみは、目星を付けていた温泉だ。
朝の温泉は、まるで人生のリセットボタンのようだ。
湯に浸かってさっぱりした後、フルーツ牛乳を飲む。
それだけで、過去の出来事のいくつかが、「まあいいか」と思えるようになる。
旅は終わる。けれど、まだ終わっていない。
僕は自転車にまたがって帰路についた。
日差しは強く、熱風が身体にまとわりついてくる。
でも不思議と心は軽かった。
100kmの道のりの先に、何か特別なものがあったわけじゃない。
ただ、そこに行って、帰ってきたという事実が、僕の中のいくつかの「ひずみ」をそっと整えてくれたような気がした。
たぶん、また行くだろう。その時もまた、何かをこぼして、何かを釣り損ねて、そして何かを少しだけ整えるだろう。そんな気がした。
やれやれ 僕はそっと自転車を片付けた―。
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