こんにちは。
もちくすです。
今回は少し毛色を変えて、UL(ウルトラライト)という考え方についてまとめてみました。
軽量装備の紹介ではなく、その背景にある「哲学」に焦点を当てて、私自身がどう向き合っているかをまとめてみました。
ぜひ、最後まで読んでみてくださいね。
- はじめに:軽いって正義なのか?
- ULはスルーハイクの中で生まれた
- セクションハイクではULは生まれなかった?
- ULはスルーハイカーだけのもの?
- ULは自由を生む
- 「軽さ」は思考とセットで完成する
- まとめ:ULは「旅の質」を変える力を持ってる
はじめに:軽いって正義なのか?
最近では「UL(ウルトラライト)」という言葉がずいぶん浸透してきて、軽量ギアを扱うショップも増えてきました。
けれど本来のULって、ただ軽ければいいという話じゃない気がするんですよね。
今回はそのルーツに立ち返りながら、「なぜ軽くするのか?」という問いを通して、私なりのアウトドアスタイルを見つめ直してみました。
ULはスルーハイクの中で生まれた
たとえばアメリカのロングトレイル、PCT(パシフィック・クレスト・トレイル)は全長4,265㎞。スルーハイカーたちはこれを数か月かけて踏破します。
スルーハイクとは一つの長距離トレイルを一気に通しで踏破するスタイルのこと。
日本でいう縦走登山に近いですが、もっと大規模でもっと過酷なものです。
1日30〜40kmを歩くことも珍しくなく、毎日アップダウンを繰り返しながら進むその旅は、もはや「生き方」とも言えるものです。
そんな過酷な状況で、15kgの装備と5kgの装備──どちらが楽かは明らか。
1gでも軽ければ、それだけ疲労も怪我のリスクも減る。
だからこそ「軽さは生存戦略」だったし、必要最小限の装備で、ひたすら前へ進むという姿勢が、やがて一つの哲学へと昇華したんです。
セクションハイクではULは生まれなかった?
スルーハイクの対義語にあたるのが「セクションハイク」。
セクションハイクとは、ロングトレイルを複数回に分けて歩くスタイルのこと。
日本で一般的な日帰りやテン泊登山、キャンプなども、こちらに近いですね。
セクションハイクでもULはできます。
でも、ULが「思想」として花開いたのは、命を預けるような環境で徹底的に合理性を突き詰めたからこそ、なんですよね。
ULはスルーハイカーだけのもの?
「じゃあULって、週末登山やキャンプを楽しむ私たちには関係ないの?」
--そんなことはありません。
確かに、スルーハイカーのように「次の補給地点まで〇日で歩かないと死ぬ」みたいな状況は少ないです。
だけど、「装備が軽いと疲れにくい」「行動の自由度が上がる」「ミニマルで身軽」っていう恩恵は、どんなスタイルのアウトドアでも実感できます。
ULは自由を生む
「装備を軽くしていくこと」は、単に荷物を減らすだけでなく、旅の自由度を大きく広げてくれます。
例えば、ザックが2kg軽ければーー
・1日20km歩くのが現実的になる。
・水を多めに持っていける。
・途中で予定変更して寄り道できる。
つまり、「軽くすること」で選択肢が増える。
「軽さ」はそのまま行動の自由になるんです。
「装備に縛られない身軽さ」こそが、ULの真の魅力。
ULは「我慢するための軽量化」じゃなくて、「自由になるための軽量化」なんだと思うんです。
「軽さ」は思考とセットで完成する
ただ軽くすればいい、というわけではありません。
寒さに耐えられない装備で山に入るのは無謀だし、ストレスの多いギアでは楽しめません。
だからこそ、「自分が何を大切にしたいか」を基準に、軽量化の取捨選択をしていく必要があります。
たとえば「絶景の中でコーヒーを飲む時間」が大切なら、クッカーやバーナーは削っても、豆を挽くミルは持っていく。
このバランスが、ULギアの一番面白いところだと思っています。
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まとめ:ULは「旅の質」を変える力を持ってる
ULって、突き詰めれば装備の話じゃなくて、「どんなふうに旅したいか」の話なんだと思います。
ひとりで歩き、泊まり、また歩く。
必要なものだけを残し、不要なものを削っていく。
その結果、自然と軽くなる。
装備が軽いぶんだけ、心が自由になり、足が遠くへ運んでくれる。
ULという考え方は、「もっと自由に、もっと自分らしく」遊ぶためのツールなんです。
ちょっと大げさに聞こえるかもしれませんが、私にとってULは「自由になるための、極限の合理性」なのかもしれません。
それでは!
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